おしえるってむずかしいよねという話
先週は桐の音楽院、夏の資格試験がありました。
お忙しい中頑張って練習し、楽器に向かい合う様子には、こちらも背筋がピンとのびるような、そんな気分で演奏を拝聴させていただきました。
一つ前のブログで、邦楽を学ぶ意味を深掘りしてみようと言う話をしたけれども、それは私が意識しないうちに、この楽器に対して向き合っていたからなのかもしれません。ただ好きと言う気持ちで、音楽や楽器、そして自分の興味のあることに向き合える人は、そんなに深く考えなくても、一生懸命やれるのかもしれないなと思ったりもしました。
桐の音楽院には鹿児島市にいくつか教室があり、他にも県下に鹿屋教室、隼人教室、国分教室などがあります。隼人教室は私が受け持っているのですが、他の各教室担当の先生がいらっしゃいます。先生たちと連携をとりながら、またときには相談をさせていただいたり、相談を受けたりしながら、各教室の生徒さん達の様子を伺っています。
資格試験を受ける人たちの目的は様々なのですが、教授資格をとった後はもし可能であれば1人でも2人でもお弟子さん達を教えることを私はお勧めしています。
こういうと「いやいやいやいや・・・」と断固拒否される方がいらっしゃるのですが、そういう方こそぜひと密かに私は思っています。自分が苦労して楽器に向かい合った方こそ、きっと教わる立場に親身になれると思うからです。
実を言うと私なんて1番教えるのに向かないタイプだったかもしれない・・・とひと昔をふりかえりつつ。
と言うのは、小さい頃からあまりに自然に楽器が近くにありすぎて、具体的にこういうふうに弾きなさいとか、曲はこういう風に理解したら良いよー、などなど具体的に母から教わった記憶がありませんでした。なんとなーく覚えたと言う感じ。
なので非常に不遜な言い方になりますけれども、どこが弾きにくいのかがわからない、もっというとどうして弾けないのかがわからない!!!と本気で思っていました。
なので今考えると、教えるポイントがとてもずれていたのではないかなと反省しきり。当時の私は、自分が理解している事を他人が同様に理解するとは限らないという当たり前の事実を、わかっていなかったような気がします。おしえる立場として、それどうなんだ!!!!と過去の自分ツッコミしたい。
ただやはり教えるって事は教わることなんだなぁと最近感じます。教え方も日々教わっているし、自分1人ではやらない曲を教えることによって何回も何回も復習する。
そしていろんなタイプの人に教えていると、こういう指の形の人はこういうところが弾きにくいのかもとか、逆にこういうフレーズは得意だろうなとか理解できたり。
抽象的な説明をすると混乱する人もいれば、逆に具体的に説明するよりも比喩表現で伝えた方が楽曲を理解しやすい人などなど。ほんとによって人って千差万別、、そんなことを教えてもらいました。
だから、多少不安があったとしても、ちょっとずつちょっとずつ人に伝えていくって事は自分の勉強になることなので良いかなぁと思います。学んだ事は、口に出して説明すると、学習定着すると言う話もありますよね。それと一緒なのかなと思います。
私もまだまだ勉強している最中ですので、一緒に皆さんと学んでいけるといいかなと思っております。何かあれば全面的にサポートしていけるよう、私も未だいろんな勉強進行中です。
と言うわけで無事に資格試験も終わった夏でした。本当にお疲れさまでした。
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何のために邦楽器を学ぶのかなぁと考えてみる
今年の鹿児島国際大の伝統和楽器演習の講義を終了した。この授業は主に西洋楽器や声楽を勉強する学生たちが教職の免許を取るための必修課程になっている。今期は10コマのうち、2コマがリモート、あとは対面でした。
私がここの大学に行き始めたのは多分20代だったと思うのでおそらく20年間ほどは毎年通っていると思う。以前に比べると、生徒達の邦楽に対する知識が、年々増えているのを感じる。やはりこれも義務教育で和楽器必修になった効果が出ているのかな。
最初は楽器を弾く事をメインに教えていた気がする。何せこの大学には15面の箏があり、5丁の三味線があり、そして貴重な琵琶まで置いてある。
今でも楽器に触れる事はとても大事に思っており、生徒たちにはできるだけ時間を割いて、音出しをしてもらうようにしている。ただ教職課程の必修科目と言うことでやはり多少なりとも知識を知ってほしいと思い始めるようになってきた。
それと同時に邦楽器の意味も考えてほしいと考え始めたのである。
戦後において邦楽なんか学校で教えるべきではないと言う意見も出た時代もあったと聞く。それがなぜ復活してきたのか、と言うことを少し考えてもらいたいなと思ったのである。
という訳で、「なぜ邦楽器をわざわざ義務教育で習わなきゃいけない?」と何回か生徒に質問してみる。最初は一言二言の返事。大事だと思うから。そう大事。じゃあなんで大事なのか。
さらに聞く。なぜ日本人のあなたたちが西洋の文化である音楽を勉強しているのか?
好きだから。そっか、そっか。そうだよね。
じゃあ、西洋で生まれ育った人たちとあなた達がひく音楽は何が違うのか。
もっと言えば、一括りで西洋というけど、山のような民族が入り乱れる大陸で、どの民族も同じ音楽を奏でているのか?
島国であった日本人が培って来た、我々の音に対する感性というのはどんなものなのか?
だとしたら、日本人にしか奏でられない音楽ってなんなのか?
答えは人それぞれで構わないと思う。ただ私は思う。自分のルートを知っているか知っていないか、少なくともそれを考えるのが大事。それでいろいろな見方や物のあり方というのは違って見えるから。
そして自分の根っこを知るものは、自信が出る。そうすると説得力が生まれる。音楽でなくても良い。自分の出身地の文化。習慣。さらに自分の家族のルーツ。なんでもいいから自分に力を与えるものを掘り起こしていってほしいなと思います。少し難しい言葉を使うと、”アイデンティティーの模索”。
毎回この講義が終わるたびに、これからいろんなこと起こるんだろうなぁと思いつつ、学生を見ています。けれど音楽には何らかの形できっと一生関わっていくだろうから。いろんな見方から自分の音楽を探索して、考えて、そして続けていって欲しいなと思いました。
と言うわけで、今日成績付け終わって、ホッとしつつ考えていた事をつらつらと書いてみました。
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がんばってに代わる言葉
先日Twitterに何気なく『頑張ってほしいなぁ』とつぶやいて、後から「いやこれなんか違うな」と思いすぐ削除してしまった。
もしかしたら言われた人は既に頑張ってるのに、更にがんばってと言うのは、負担をかけてしまうのかなとちょっと思ったのである。
昭和世代の私は、頑張るのが美徳だと思っている節がある。
ときには自分の能力に負荷をかけるのはもちろん良い。それが伸びしろとなる場合もある。頑張ってという言葉を期待値と受け止めてくれて、張り切るタイプの人ももちろんいるだろう。
でも過剰な負荷と言うのは人にものすごいストレスを与えてしまう。そうするとどうなるか?自分の経験上、あまり良い結果につながらないような気がしています。
と思っているので、お稽古の時に練習頑張ってと気軽に言えない自分がいる。
それでなくてもみんな学校だったり勉強だったり仕事だったり家族だったり、そんなことでがんばっている。しかも私が知っているのはお稽古の時間内で知り得る状態でしかないので、慮り判断するのが非常に難しいなと感じる場合もある。
しかしまぁ練習はしてほしい、正直(笑) 。ある程度ね。だからそんな時に頑張ってと言う言葉に変わる言葉は何かなぁと最近すごく考えている。まずは相手のやる気のツボは何なのか、そこに気づいてあげるのが1番なのかなと思う。
何か人がやる気になるような、さりとて押し付けがましくもなく、そんな言葉は無いだろうか。
そんなことを最近考えています。
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四十肩になって困った話と良かった話
ある日突然それはやってきた。四十肩である。
これがめちゃ痛い。腕が肩からぶら下がっているだけでとにかく痛い。腕って結構な重さがあるんだなという新発見。そんな発見あんまりしたくなかったけど、ともかくこれは只事じゃないと、速攻整体に行きました。
行ったところ、今のところは炎症出来立てホヤホヤなのでできることがありません。三角巾で腕を吊りますのでとにかくじっとしてくださいとの指示。早く直したいばっかりに病院ではなく整体に行ったのだけど・・・そこまで言われては・・・・
というわけで発症後1週間お稽古お休みにさせていただきました。とゆうかもう動く気力もなかった。痛みというのは人から気力を縛ってしまうという再発見。改めていうけどそんな発見はあんまりしたくなかった。
そして包丁も持てなかったので今日からしばらくご飯作りません宣言をしてとにかく横になってていた(これはちょっとよかった)。しかしながら横になっているだけでも痛いから、本当にもうやれやれでした。
というわけでお稽古の変更移動などに、すぐに対応してくれたお弟子さまたちのおかげで、幸いすぐに良くなったけれども、痛かった右肩が回復するとともに、今度は左の肩に違和感が出てきた。
うちの会には人生豊富なお姉さま方がいっぱいいるので、四十肩の話をすると経験談が出るわ出るわ出るわ。まぁ大変な話をいっぱいしてくださっていて顔が青ざめたので仕方なく病院に行くことにしました。左肩までダメになってしまっては、これはもう大変。
結果そんな大した事なくて、石灰化もしてないし、注射をしなくても大丈夫ですと言われた。鎮痛剤と湿布をいただいて、いつもよりは左手の動きを控えていたら、だいぶ良くなりました。
しかし腕が使えないと言うのは本当に不便ですね。洋服を着るのも、トイレに行くのも、運転するのも、腕が普通に動けてできるのだという本当に当たり前のこと再発見。この発見はよかった。謙虚な気持ちを取り戻しました。うで様ありがとう。
よかった話を更にすると、肩が使えない時期に、導入したのは音声入力。パソコンも使えなかったので、携帯に音声入力に強いキーボードを入れてみました。これは便利。実は今このブログも音声入力で入れています。誤字脱字は、まあまあそこそこあるんだけど、それなりの文字数の時は喋って入力した方が楽。そしてあとでパソコンで校正をちょいちょいした方があっという的に早かったのでした。
あと、ゴロゴロソファでのたうちまわっている時に、YouTubeで四十肩のことを調べました。やはり肩のポジションが悪かったり、肩甲骨が固かったり、あるいは首が悪かったりと原因は様々らしいけど、炎症が収まったらやはりこれはストレッチしかないと思い、痛みがひいてきたと同時に少しずつ柔軟開始。
そうすると呼吸がしやすいことに気づいた。唄が歌いやすい。姿勢には以前から気をつけてはいるつもりでいたけれども、自分が思っているより、自然に肩が内巻きに入っているのかもしれない。ついでに姿勢を良くしようという意識が、逆に反り腰になっていて骨盤がニュートラルじゃなかったのかもしれないと諸々の自分の骨格の弱点に気づき始めました。そうなるとどうでしょう、ストンと体重が減りました。少しだけどね。ラッキー。
というわけで最近は、腕をクルクルさせたり、肩甲骨を寄せたり、縦にぎゅーっと伸びたりするストレッチを習慣化させるべく、常にウネウネと動いている私でした。今度からお弟子さんも誘ってやってみようと思っています。何のお稽古かもはやもうよくわからなくなってきているけど、何事も健康第一だから!!
なぜHatenaブログもあるのにnoteを始めたかと言う話
ブログはいつから始めたのかあんまり覚えていない。多分20代前半位。最初のうちは自分のことだけ書いていたような気がする(笑
でもなぜか不思議なもので歳をとってくると、自分のことよりは箏や楽器そのものについてもうちょっとちゃんと知ってもらいたいと言う気持ちが強くなってきました。多分鹿児島に戻ってきて教えると言う仕事量が増えたのもその理由の1つかもしれません。
YouTubeを始めたのも先の記事で伝えましたが、自分のお弟子さん達にもう少し詳しく教えたいところ、日々のお稽古ではなかなかそこまで行き着くことができず、そこを捕捉するために始めたのがきっかけです。
時代はコロナ禍に突入して多分自宅作業が増えたからでしょうか、アナリティックスを見るとブログやYouTubeが思いのほかいろんなところから見られているということがわかりました。
となると、少しばかりブログに気ままに書くと言う事がしづらくなってしまったような。
と言うのは外部のソースや検索機能から飛んできた場合、必要な情報が目の前にあったほうが、その人にとっては便利だろうに、それ以外の情報がたくさんあってしまってはその人の時間に無駄になるかなと思いました。これは私自身の経験から。もちろん求めている情報の探索中に他の面白いことを見つけたり、無駄だと思えることの中から興味のわくことを見つけたりということもあるかもしれません。でも私だったらシンプルにまとめているものの方が嬉しいかなと思ったのです。
本当ならばはてなブログでもうちょっときれいにまとめればよかったのですが、最近気になっていたnoteがまとめブログとしては使いやすいんではないかと思い始めて、思い切ってそちらのほうに移行しました。下書きするときに、一切の無駄な文字列がなく、真っ白な画面なので見やすいし、書きやすいなと思ったのもその理由の一つです。これからどんどん情報を追加していこうと思っています。自分なりのペースでだけどねw
と言うわけで使い分けとしては
・はてなブログは、自分や桐の音楽院の活動、そしてそれに伴った思考や私感をまとめるブログ
・noteは箏三味線やその他邦楽器に関する情報をまとめるサイト
・Twitterはもっと散文的なつぶやきを気まぐれに
と言うふうに使い分けようかなと思っています。実はFacebookにも持っているのですが、少し使いあぐねているというのが現実です。はてなブログやTwitterなどの転載ばかりになってしまうのが、何か申し訳ないような気がして。こちらも少し考えていきます。
と言うわけではてなブログは、少し長めの文章が多くなってしまうかもしれません。でもそうじゃないかもしれません(笑)。その日の気分で徒然と。
ではでは。
これからどんどんまとめていきますので、音や三味線、そしてその他邦楽器のことに興味がある方は、ノートをフォローしていただけるとうれしいです。
気まぐれでよければTwitterも(笑)
youtube「箏の演奏法 左手編」です
ブログ更新お久しぶりで本当に穴に入りたい梶ヶ野です。
YouTubeも大変大変お久しかたぶり過ぎに更新いたしました。
こんなに亀更新のYouTubeですが、じわりじわりと登録者数が増え続けておりまして、本当にありがたく思っております。最初は桐の音楽院の会員、そして師範の先生方のブラッシュアップのためにと思いはじめたYouTubeでしたが、様々な方に見て頂いているみたいです。1300年の歴史のある楽器ですので、いろんな考え方、演奏法などあるかと思いますが、温かく見守っていただければ幸いです。
さて今回は左手の演奏法について。
パターンととして2つに区分して見ました。
①左手で音の高さをかえる
②左手で音色やその余韻に変化をつける
①のパターンとしては
・弱押し
・強押し
・最強押
・掛け押し
・引きいろ
②のパターンとしては
・後押し
・押し放し
・突きいろ
・ユリいろ
・消し爪
があるかと思います。
興味のある方は是非ご覧ください 😊
続きまして箏の奏法右手バージョンも作成中ですのでしばしお待ちくださいませ。