鹿児島の箏(琴)・三味線和楽器教室:桐の音楽院

こんにちは。桐の音楽院(きりのねがくいん)です。鹿児島を中心に活動している箏や三味線の会です。お稽古や尺八や他和楽器との合奏、演奏活動などなど。お問い合わせはお気軽に♪

「こと」の歴史~文献からみる古代の「こと」~

古代のこと

日本各地で出土された弾琴埴輪により、3世紀にはすでに「こと」という楽器が存在していたという記事を書きました。 

kirinone.hateblo.jp

 

しかし今普及してること(箏)は中国から伝わったものが大きく影響しています。それとの差をつけるために古代時代に使われてたであろう楽器については、日本国(ヤマト)特有のものとし、倭琴(やまとごと)と書きますね。

 

倭琴(ヤマトゴト)の役割

この倭琴、古くより神事用の神聖な楽器とされていました。ですので、これを奏でるのは、神事をつかさどる権力者、あるいは呪術師的な役割の人間だったと思われます。

つまり殆どの場合、倭琴は神の持ち物とされ、人間では神の子孫である天皇家が持つべきものとされているのです。


古事記のなかの“こと(倭琴)”

 古事記のなかに“こと”はたくさん出てきますが、その中でも“こと”が神の持ち物であったとされる印象的な話は「大国主命(おおくにぬしのみこと)」がスサノオノミコト(神様)の娘を奪いさるシーン。

 

 大国主命は娘と一緒にスサノオの太刀・弓矢・そして「こと」(天の沼琴)を奪い去るのです。太刀や弓矢は権力やそのパワー、そして「こと」は言葉(神からの祝詞)を意味してるとの説もあるそうです。そしてその力もかり、日本国を造り上げていったのです。


風土記のなかの“こと(倭琴)”

 上記古事記に関連して、風土記のなかには「琴弾山」の記載があります。天下造らしし大神(おおくにぬしのみこと)の御琴(実際は琴の形をした石を思われる)がある山を「琴弾山」といったとのこと。

 

飯南町の歴史と文化-地図で辿る-出雲国風土記

 

古事記のなかの“こと(倭琴)”パート2


仲哀天皇の弾く琴の音に妻神功皇后が、神懸りになられて、託宣を述べるというシーンもあります。このことからも、「こと」は神降ろしの楽器とされてるのがわかります。


倭琴から大陸楽器「こと」の普及へ

古代では神聖な楽器とされてた倭琴も、時代とともに歌舞の伴奏楽器として用いられるようになります。同時期、大陸より伝来した音楽からの影響をうけ「こと」の種類も多岐にわたっていくのです。

 

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「こと」の歴史~次回にツヅキます~